日本三津の港町「坊津」コース 5㎞

ツール・ド・ニッポン事務局【PRO】さん

南さつまの港町「坊津」を巡る

坊津は古来、唐の高僧「鑑真」が日本に初上陸した地であり、古来中国明の書物「武備志」では、現在福岡県福岡市の花旭塔津、三重県津市の洞の津と並び、「日本三津」の一つとして紹介された長い歴史と文化を有する港町です。
ゆく先々の景観と地元の観光ガイド「坊津やまびこ会」の語りが、その栄枯盛衰の物語を皆さんの心へ届けます。
コースを完走した後には、きっと哀愁漂い、まるで昔にタイムスリップしたような気持ちになることでしょう。

  • 0
  • 12
  • 0
  • ツール・ド・ニッポン事務局【PRO】さん
  • 2023-01-18
  • エリア南さつま
  • 距離5.8km
  • 旬の季節
  • 平均勾配3%
  • 獲得標高85m
  • コース形態1周

コース概要

コースストーリー

1

坊津観光案内所

坊津観光の拠点

歴史と文化の交差する町、坊津。その奥深い魅力を余すことなく伝えるため、NPO法人やまびこ会のガイドが日替わりで観光案内を行っています。特産品を販売するほか、休憩も兼ねてコーヒーもお楽しみいただけます。電動アシスト付自転車の貸し出しもあり、坊津観光はここから始まります。

詳しく見る

0.7km

2

一乗院跡・上人墓地

薩摩屈指の有力寺院

まずは坊津の歴史を代表する一乗院。一乗院は真言宗の寺院で、薩摩国内屈指の有力寺院の一つでした。16世紀の中頃には天皇の勅願寺となったものの、明治2年(1869年)の廃仏毀釈により廃寺となりました。鹿児島県指定史跡一乗院跡にある上人墓地は、一乗院歴代住職の墓で、四角い珍しい形をしています。

詳しく見る

1.2km

3

一乗院正門・仁王像

学園跡に残る仁王像

一乗院の正門には、もともと同院の山門に安置されていた石製の仁王像が残されています。廃仏毀釈によって廃寺となり取り壊された寺院は、一時小学校の敷地となっていました。現在では、坊津町で一つの小中一貫校「坊津学園」となり、土地の歴史に幕を閉じました。

詳しく見る

0.3km

4

近衛信輔屋敷跡・龍巖寺

坊津、都文化のはじまり

安土桃山豊臣秀吉政権下、左大臣であった近衛信輔が坊津の地に滞在したと伝えられます。信輔公は関白の地位をめぐるいざこざで秀吉の怒りにふれて、文禄3年(1594年)に薩摩へ配流となり、1年数か月間坊津に滞在したといわれ、歌や書に秀でた信輔公の滞在は、坊津に都の文化をもたらしました。

詳しく見る

0.4km

5

下浜滝摩崖仏・石管水道

海外交易港から漁港への変遷

下浜滝は坊津では数少ない摩崖仏が彫られた場所です。徳川幕府の鎖国令、そして享保8年(1722年)の享保の唐物崩れと言われる幕府(薩摩藩)の一斉手入れにより、海外交易港としての地位を絶たれた坊津は、次第にカツオを主とする漁業に活路を見出していきました。この石管水道は井戸の水を港の突端に引くために造られたもので、カツオ節の製造用水としても使用されました。

詳しく見る

0.5km

6

石段・石畳の道

石畳と白壁

辺り一帯は倉浜地域と呼ばれ、商人たちの蔵屋敷が軒を連ねた頃は、白壁が夕陽に映えてそれは美しい光景だったと言われています。坊津は、前述の唐物崩れ以降寒村となり、次第に衰退していくこととなりましたが、石畳の道や整然と積まれた石垣群は、遣唐使の時代から国際交易港として繁盛した当時の面影を偲ばせます。

詳しく見る

0.4km

7

坊津一望地

激坂の先の展望スポット

坊津を一望できる高台の山の手は栄松山興禅寺観音堂の後で、曹洞宗の祖、道元禅師がこの寺から中国へ渡ったと伝えられます。倉浜地帯、八坂神社、そして一乗院跡が一望でき、日本三津の総路、別名「入唐道」と呼ばれ、「坊津千軒甍の町も出船千艘の帆に隠る」と詠まれ繁栄した坊津に思いを馳せられる場所です。

詳しく見る

0.3km

8

貿易商人屋敷

貿易商の館

正面に大きく倉浜荘とあるこの屋敷は、坊津歴代の商人森吉兵衛の屋敷で、今の屋敷は万延元年(1860年)に建てられたものです。この家は一般の家の造りとは違い、坊津の貿易商特有の施しがされていると言われています。

詳しく見る

0.2km

9

八坂神社

例大祭「坊ほせどん」は一見の価値あり

八坂神社は代々鳥原家が社主となっており、天正12年(1584年)には島津義久から琉球渡海朱印状を発給されるなど、坊津の代表的な海商として知られています。毎年10月の第3土曜日から日曜日にかけて2日間行われる同神社のほぜ祭りは坊津最大の伝統的な祭りです。

詳しく見る

1.1km

10

白糖方

島津斉彬の名残をとどめる

白糖方の由来は島津家第28代斉彬公が、安政年間にこの地の一角に西洋式の白糖製造工場を造られたことから出たものと伝えられていますが、斉彬公の急死により実際に製造されることはありませんでした。また、幕末の頃、近海に異国船が盛んに出没した名残も残されています。

詳しく見る

0.2km

11

太鼓橋・沈溺諸霊塔(唐人慰霊碑)

坊津と中国、人々のつながり

この石造りの太鼓橋は享保6年(1721年)に中国の石積みの形式に沿って造られたもので、県内でも貴重な古い太鼓橋です。国道改良工事に伴い平成12年に、この広大寺跡に移設復元されました。隣の沈溺諸霊塔は、文化5年(1808年)坊の港に入港しようとした中国船が沈没する痛ましい惨事が発生した際に、坊津の有志によって建てられたものです。

詳しく見る

0.5km

12

坊津観光案内所(ゴール)

「坊」「津」を制覇

坊津はその名のとおり、「坊」は仏教を、「津」は港町を表し、仏教と貿易が溶け合って一体となり繁栄の道を辿った町です。お帰りの前に、国指定名勝「坊津」双剣石を眺めながらお茶を飲み、往時の坊津の面影に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?より詳しく知りたい方は、ぜひ坊津歴史資料センター「輝津館」もご観覧ください。またのお越しをお待ちしています。

詳しく見る

埋め込みタグ

  • ブログなどにコース情報をiframeで貼り付けるためのコードです。HTMLコードをコピー&ペーストしてください <a href="https://www.app-tour-de-nippon.jp/course/?course_id=638" class="course_widget" data-course-id="638" target="_blank">日本三津の港町「坊津」コース 5㎞</a><script type="text/javascript" encoding="UTF-8" src="https://www.app-tour-de-nippon.jp/js/widget.js?course_id=638"></script>
  • 日本三津の港町「坊津」コース 5㎞

お気に入りに追加する